皆さんこんにちは、Akiです。
アスガール!!を見ていただきありがとうございます^^
今回は、数々の日本記録を打ち立て、
現在はマラソン解説者として大人気の増田明美(ますだあけみ)さんを
色々と調べさせていただきました。
増田明美さんの解説やラジオは 子供や夫はいる?
カップや出身高校が気になる!など
気になったので一緒に確認していきましょう。
ちなみに後半には過去に投稿して大反響のあった
可愛い女子アスリートの関連記事もあります!
合わせてそちらもご覧ください!
Let’s start good game!!
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増田明美さんの解説やラジオは?
増田明美さんといえば、マラソンの解説でおなじみですね。

自分の現役時代の解説といえば、走りと体調のことしか話題にされず、
競技者としてしか見られないことを寂しく思っていたそうです。
そういった思いから、増田明美さんの解説は、選手の人間関係や性格など
走りとは直接かかわりがないことも次々に紹介されます。
増田明美さんの解説にはファンも多く、情報のあまりの細かさに
テレビ番組「マツコ&有吉の怒り新党」でも取り上げられたほどでした。
走っているランナーたちの「人」としての部分を、
視聴者にも知ってもらいたいという増田明美さんの愛情があふれていますね。
今はマラソンの解説だけでなく、独特のテンポと語り口で
ナレーターとしても人気です。

出典:https://www.news-postseven.com/
NHKの朝の連続テレビ小説「ひよっこ」でもナレーションを務め、
何ともいえないホンワカした雰囲気を醸し出していました。
しかしマラソンを引退した当時は、ラジオのパーソナリティーを
2本担当するという幸運なスタートだったにもかかわらず、
我の強さから短期間で降板したそうです。
本人も「気性が激しく負けず嫌いで直情径行な性格」と言っていますが、
増田明美さんのナレーションからは想像できませんね。
でも、そういった性格だからこそ、日本女子の長距離黎明期に
活躍できたのかもしれません。
ところで”気性が激しい”増田明美さん、結婚はされているのでしょうか?
増田明美さんの子供や夫は?
増田明美さんは、2005年1月に一般男性と結婚されています。
41歳の時なので、遅めの結婚だったんですね。
そのくらいの年齢になると、負けず嫌いで激しい性格も、
ナレーションのように穏やかな感じに変わってきたのかもしれません。
夫はファイナンシャルプランナーの方だそうですが、
市民マラソンなどに参加されるランナーでもあるようです。
人を笑わせるのが好きで、走るときは
「増田明美の夫」と書かれたゼッケンを身に付けているそうです。
出典:http://nicomachus.jp/
増田明美さんは年齢的に子供を持つことはないと言っていますが、
代わりに評議員を務めるプラン・ジャパンを通じて、
発展途上国の少女を支援する事業に取り組んでいます。
「社会的な面で子供に関わる活動がしたい」とのことです。
素晴らしいことですね!
増田明美さんのカップは?
では次に、増田明美さんのカップも確認しておきましょう。
と言っても、あまり興味ないかな?
と言ったら、失礼ですね(^^ゞ


まずは、参考画像をご覧ください。
あまり大きくはなさそうです。
A~Bカップくらいでしょうか?
うん。
この項目は、サラッと流しておきましょう。
増田明美さんの出身高校は?
増田明美さんは教員を目指していたので、
高校で陸上をする気はありませんでした。
しかし中学での走りを見た私立成田高等学校陸上部の瀧田詔生監督が
スカウトに訪れ、増田明美さんを口説き落としました。

出典:https://www.narita.ac.jp/jhs_hs/
ちなみに有森裕子さんや高橋尚子さんを指導したことで知られる小出義雄さんは、
当時は千葉県立佐倉高等学校の教員でした。
小出監督もスカウトに訪れたそうですが、一週間の遅れで瀧田監督に負けたそうです。
もし小出監督が先にスカウトに来ていたら、
増田明美さんの人生が大きく変わっていたかもしれませんね。
それと同時に、有森裕子さんや高橋尚子さん、さらに日本の女子長距離界が
今とは全く違うものになっていたかもしれません!
成田高校在学中は同学年の樋口葉子さんとともに
瀧田監督宅の離れに下宿していましたが、
増田明美さんと樋口葉子さんはライバル心むき出しの、
息の詰まるような生活を送っていたそうです。
その後はお互いが日本選手権で優勝するほどの選手になり、
後に増田明美さんは「樋口の存在が日本記録達成の原動力だった」と述べています。
なんだか”昭和感”満載ですね。
“令和”の時代は、こんなバチバチのライバル関係はなくなってそうです。
こちらはオリンピック金メダリストの高橋尚子さんの記事です。
高橋尚子さんの記事も、ぜひご覧ください!!
増田明美さんのwiki風プロフィール

出典:http://www.akemi-masuda.jp/
名前 | 増田明美 |
読み方 | ますだあけみ |
生年月日 | 1964年1月1日 |
年齢(執筆時) | 55歳 |
血液型 | AB型 |
身長 | 150㎝ |
体重 | 39㎏(現役時) |
出身地 | 千葉県夷隅郡岬町(現・いすみ市) |
所属 | - |
スポンサー | - |
競技・種目 | マラソン |
成績・記録 | 1982千葉県光町マラソン:優勝(2時間36分34秒、初マラソン、日本記録) 1984大阪女子マラソン:2位(2時間32分05秒、日本人最上位) 1984ロサンゼルス五輪女子マラソン:途中棄権(16km付近) |
中学時代、当時の人気漫画「エースをねらえ」に憧れて
軟式テニス部で活躍していましたが、
2年の時に駅伝大会の選手が足りないので駆り出され、優勝に大きく貢献します。
それがきっかけで3年の時は陸上部との掛け持ちになり、
800mでは全国大会でも4位入賞を果たします。
陸上部の監督にスカウトされて進んだ成田高校では、
貧血のためにマネージャーへの転向を指示されるものの、
それに反発して猛練習を重ねるようになります。
このときは、負けず嫌いの性格が良い方に発揮されたんですね。
そして高校3年の時には長距離の日本記録を次々に更新し、
18歳になって初めて挑戦したフルマラソンでも日本記録を更新します!
高校卒業後は実業団の川崎製鉄千葉(現・JFE千葉)に進みます。
これまで長距離ランナーとして瞬く間に世界と肩を並べるまでに
成長してきましたが、当然のように選ばれた1984ロサンゼルス五輪の頃から、
歯車が少しずつかみ合わなくなります。

(右端)出典:https://www.joc.or.jp/
貧血の再発やトレーニングのし過ぎ、さらに精神的なプレッシャーなどから
五輪本番での体調は万全とはいえず、優勝争いに加わっていないという
精神的ダメージが大きく、16km付近で無念のリタイアとなります。
五輪後は引退を発表し、改めて教員を目指しますが、
「もう一度思い切り走りたい」との思いが強くなり、現役復帰。
復帰後は世界のトップレベルとの差はなかなか埋まりませんでしたが、
改めて走ることの楽しさを感じながら1992年に2度目の引退発表を行いました。
高校時代からの恩師である瀧田監督は、
増田明美さんのアスリートとしてのピークは
1988ソウル五輪の頃と考えていたそうです。
しかし当時の女子長距離は五輪種目が少なく、
マラソンの次に距離が長いのは3000mでした。
そのためロサンゼルス五輪ではマラソンに挑戦することになったとのことですが、
今と同じ環境があれば、ロサンゼルスでは5000mか1万mで経験を積み、
ソウルのマラソンでメダルを目指すというプランだったかもしれません。
しかし日本の女子長距離界に彗星のごとく現れた少女に、
日本中が沸いたことは紛れもない事実です。

現に、オリンピックの女子マラソンで2大会連続でメダルを獲得した
有森裕子さんは、増田明美さんに憧れて練習日誌に増田明美さんの記事を
切り抜いて貼っていたそうです。
有森裕子さんの記事はコチラからどうぞ!!
そして今、現役を終えても増田明美さんは
日本の女子長距離界発展のために大きく貢献しています。
またマラソンの季節になれば、独特の語り口で、
マニアックな選手紹介がテレビから聞こえてきます。
次はどんなマル秘情報を教えてくれるんでしょう?
楽しみですね!
増田明美さんをさらに深く!
以上ですがいかがだったでしょうか?
選手として輝いた期間は短かったものの、
その輝きはまぶしいほどでした。

そして今は、女子長距離の解説者として愛情あふれる解説が大人気です。
これからも、女子長距離界発展のために、
選手とお茶の間をつなぐ橋渡し役として、活躍を期待しています!
今回は、数々の日本記録を打ち立て、
現在はマラソン解説者として大人気の増田明美(ますだあけみ)さんを
色々と調べさせていただきました。
まとめますとこのようになります!
・細かすぎて愛情あふれるマラソン解説
・41歳で結婚、こどもはいない
・A~Bカップくらい
・私立成田高等学校陸上部卒業
増田明美さんの更なる今後の活躍に期待したいですね!
一緒に応援して盛り上げていきましょう^^
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